イベントレポート:福岡から加速する再生医療の社会実装──Bio Innovation Gathering
2026年1月30日、九州大学病院キャンパス内に新設された「エフラボ九大病院」にて、再生医療イノベーションフォーラム(FIRM)と連携した特別イベント「Bio Innovation Gathering」が開催されました。会場には福岡県内だけでなく、全国・海外から総勢100名以上が訪れ、会場は熱気に包まれました。
九州大学病院と直結する国内唯一のライフサイエンス特化型インキュベーション施設の開設を記念した本イベントには、PMDA(医薬品医療機器総合機構)の丸山良亮氏、オルガノイド研究の第一人者である武部貴則氏をはじめ、遺伝子治療・再生医療領域の最先端を走るスタートアップ4社が登壇。行政・VC・事業会社の審査員を交え、技術の社会実装に向けた専門性の高い議論が交わされました。

丸山氏はイベントの冒頭で「ボストンや、最近活気のある蘇州のバイオクラスターのような圧倒的な活気を福岡でも実現してほしい。そのために我々も開発初期から密接にコネクトしていく」とメッセージを送りました。
医師主導臨床試験の実施数で国内トップクラスを誇る九州大学病院との連携により、基礎研究から臨床応用までをシームレスにつなぐ── 。本記事では、施設完成を祝した記念すべきイベントの模様をお届けします。
基礎研究が患者を救う──武部貴則氏が語る、再生医療90年の歴史と福岡からの挑戦
本イベントの特別講演には、オルガノイド研究の第一人者である武部貴則氏をお招きしました。大阪大学大学院医学系研究科、ヒューマン・メタバース疾患研究拠点、東京科学大学総合研究院、シンシナティ小児病院、横浜市立大学コミュニケーションデザインセンターと、国内外の複数拠点で研究を牽引する武部氏は、エフラボ九大病院の開設にあたり、「横断的なシーズを持った企業が肩を並べて仕事ができる場は、福岡や九州だけでなく、日本の生存戦略としても希望を抱かせてくれる」と期待を語ります。
武部氏の研究の原点は、医学生時代に初めて担当した、筋肉が徐々に壊れていく難病「遠位型ミオパチー」の患者との出会いにあります。長年不明だった病名が判明し、医療チームが原因特定という学術的な一区切りを迎えた一方で、患者に提示されたのは「積極的な治療手段はなく、今後は緩和ケア(BSC)へ移行し、転院していただく」という医療の重い現実でした。
診断確定が、事実上の退去の合図に。救いの始まりではなく、病院での治療が終了する分岐点となっている当時の医療の限界を目の当たりにし、武部氏は「治すための手段を自ら創り出すこと」の重要性を痛感しました。こうした経験が、武部氏を臨床の場から、治療という名の“新たな出口”を自ら創り出す基礎研究と、その産業化の道へと導いたのです。

その上で武部氏は、再生医療が今まさに「良い時期」に差し掛かっていると強調しました。臓器移植の歴史を振り返ると、1902年に犬の腎臓移植が成功してから、商業的に普及し多くの病院で受けられるようになった1990年まで、実に90年の歳月を要しました。その間、臓器移植に直接関わるノーベル賞が3つ、免疫学の発展も含めると20以上のノーベル賞が関わっています。
この歴史を踏まえると、山中伸弥氏と共にノーベル賞を受賞したジョン・ガードン氏の発見が1960年代であることを考えれば、そこから90年後の2040年前後が再生医療のターニングポイントになる可能性があります。2006年の山中氏によるiPS細胞の発見から今年で20年。「歴史で考えると今、本当に60年ぐらいの時期に到達している。あと20年、30年が正念場」と武部氏は強調しました。
九州大学との共同研究も着実に進んでいます。血液内科の赤司浩一教授らから提供された患者検体を用いた骨髄移植後の肝障害治療薬開発や、小児外科の吉丸耕一朗講師との共同研究では、iPSから作った立体的な胆管オルガノイドで吻合手術を行い、先天性胆道閉鎖症による黄疸を完全に軽減することにも成功しています。
武部氏と九州との関係は、株式会社サイフューズの秋枝代表と軟骨研究で共同したことに遡ります。「個人的なゆかりはないものの、毎年訪れるたびに楽しい時間を過ごしています。この九州とのつながりがアメリカまで波及し、シンシナティの拠点に日本人が何百人も集まったこともありました。福岡の魅力は、ローカルの力を借りながらグローバルに展開していけること。エフラボ九大病院ができたことでその流れがさらに加速し、私にとってもまた福岡に来られる言い訳ができたことを嬉しく思います」と語りました。

武部氏が特に注力しているのは、肝臓の再生医療です。腎臓には透析があり、他の臓器には効果的な薬がありますが、肝臓はマルチファンクションな臓器であるがゆえに競合治療がほとんど存在しません。アメリカでの肝臓移植は1回の治療で約1億円、日本でも肝臓移植が必要な患者のICU治療は1週間で1,000〜1,500万円かかります。これに対し、武部氏らが開発を進める体外循環装置とiPS細胞由来の肝細胞を組み合わせた治療法は、1回700万円、2回程度の治療で効果が期待できるといいます。特にターゲットとしている急性肝不全は、国際的に約10万人の患者がいると推定され、この領域だけで約3,000億円の市場的効果が見込まれます。
講演の最後、武部氏は尊敬する恩師が語った印象的な言葉を引用しました。「TO GO BOLDLY WHERE NO MAN HAS GONE BEFORE(誰も行ったことのない地に飛び出す)」──『スター・トレック』の有名なフレーズです。武部氏は「エフラボ九大病院から、地元企業、地元の関係者と連携して、新しい医療の幕開けが見られたらすごく嬉しい」と、施設やすべての関係者への期待を伝え、講演を締めくくりました。
ここからはスタートアップ企業4社のピッチの模様をお届けします。審査員は再生医療のパイオニアとして40年の経験を持つ株式会社セルシード代表取締役社長の橋本せつ子氏、ライフサイエンス領域に精通したAngel Bridge株式会社シニアアソシエイトの伊原輝氏、大手VCの視点から開発戦略や資金調達について問う三菱UFJキャピタル株式会社ライフサイエンス部副部長の篠崎幹彦氏が務め技術の社会実装に向けた本質的な議論が交わされました。
植物由来PPRタンパク質でRNAを標的──筋強直性ジストロフィー治療薬を開発
エディットフォース株式会社 取締役CTO 八木祐介氏

エディットフォースは九州大学農学部発のスタートアップとして、植物由来のPPRタンパク質を用いた遺伝子治療薬を開発しています。現在、筋強直性ジストロフィータイプ1(DM1)の治療薬開発を進めており、非臨床試験の最終段階にあります。
筋強直性ジストロフィーは、手を握ると開きにくくなる症状が特徴的な疾患で、ジストロフィーの中では比較的患者数の多い病気です。原因は遺伝子の特定部分が異常に繰り返されることで、細胞内にRNA凝集体が形成され、筋肉の正常な機能に必要なタンパク質の合成が妨げられることにあります。既存の治療法では十分な効果が得られない患者も多く、新たなアプローチが求められています。
エディットフォースが着目したのは、植物に存在するPPRタンパク質です。このタンパク質は単純な構造の繰り返しでできており、特定のRNA配列に結合する性質を持ちます。重要なのは、この構造を組み合わせることで、狙った配列だけに結合するタンパク質を設計できる点です。同社はこの技術を活用し、異常なRNA配列に結合して凝集を防ぐ治療薬を開発しました。
マウス実験では、AAV(アデノ随伴ウイルス)による1回の投与で凝集体が消失し、筋肉の機能が正常化、症状が改善しました。薬効は約4ヶ月持続し、PPRタンパク質の長期発現による毒性も現時点では確認されていません。シングルドーズで長期効果を実現する点が、同社の大きな差別化要素となっています。論文発表後はNHKワールドでも技術が紹介され、国内外から注目を集めています。
さらに同社は、PPRタンパク質に別の機能を付加してRNA自体を修正する次世代技術の開発も進めています。マウス実験では筋肉の約8割で標的部位の修正に成功しており、単なる抑制ではなくRNAレベルでの「修復」を可能にする技術として、新たなプラットフォーム展開も視野に入れています。AMEDのベンチャーエコシステム強化事業に第1回から採択され、来年初めの臨床試験開始を目指しています。
iPS技術で動物の再生医療を実現──健康なドナー犬不要の治療法を開発
株式会社Vetanic 取締役CTO 塩澤誠司氏

Vetanicは犬や猫などの動物からiPS細胞を樹立し、再生医療製品の開発を目指す慶應義塾大学・日本大学初のベンチャー企業です。慶應義塾大学での研究と日本大学獣医学科の枝村一弥教授との共同研究成果をもとに、JST SCORE事業(現START事業)を経て2021年に創業しました。
iPS細胞技術は2006年にマウスで発見され、翌年には人でも樹立に成功しましたが、意外にも犬や猫では正常なiPS細胞の作製が長らく困難でした。わずかに得られた細胞も異常なもので、外来遺伝子が発現し続けないとiPS状態を維持できないという問題がありました。また、iPS細胞の作成にはウイルスベクターを用いて細胞の遺伝子を書き換える手法が用いられるのが一般的ですが、これには安全上の懸念が伴います。Vetanicはこの課題に対し、リプログラミング因子に追加因子と低分子化合物カクテルを加える独自の方法を開発。一度神経幹細胞の状態を経てからiPS細胞を誘導する2段階リプログラミング法により、ウイルスを使わない正常なiPS細胞の樹立に成功しました。この技術は国内特許を取得済みで、海外出願も進行中です。
現在同社が注力するのは、iPS細胞由来の間葉系幹細胞(iMSC)を用いた治療です。獣医領域ではすでに脂肪由来MSCを用いた再生医療が実用化されていますが、健康なドナー犬から脂肪を侵襲的に採取する必要があり、体細胞由来のため増殖能が限られ、ドナーごとの不均一性も課題となっています。iPS技術を活用すれば、ドナー犬の犠牲なく高い増殖能を持つ均一な細胞を製造できます。
適用疾患としては、既存製品が対象とする椎間板ヘルニアに加え、MSCの免疫調節機能を活かしたアトピー性皮膚炎や変形性関節症などへの展開を視野に入れています。チームには、バイオベンチャー経験豊富な望月昭典社長、日本大学付属動物病院長で獣医再生医療ガイドライン策定委員でもある枝村教授、そして再生医療学会前理事長で国際幹細胞学会(ISSCR)会長の岡野栄之氏が顧問として参画。塩澤氏自身も久留米大学に所属し、福岡県が推進する「ワンヘルス」の理念のもと、人と動物の健康を一体として捉えたイノベーション創出を目指します。
患者のゲノム情報を薬の材料に──ネオ抗原樹状細胞ワクチンで個別化医療を実現
株式会社NPT 代表取締役CEO 原健一郎氏

NPTは患者一人ひとりのゲノム情報を解析し、その遺伝情報そのものを薬の材料として提供する個別化がん免疫療法を開発しています。現在、食道がんを対象とした企業主導治験を進めており、樹状細胞ワクチンとしては企業として国内初の治験に挑戦しています。
個別化医療では一人ひとりのゲノム情報を分析してその人に合った医療を提供します。近年では一度に数百種類の遺伝子変異を調べるがん遺伝子パネル検査が保険適用されましたが、それでも最適な治療薬が見つかる到達率は約10%にとどまっています。原因は、遺伝情報に基づいて使える薬が圧倒的に少ないことです。NPTはこの課題に対し、遺伝情報と再生医療技術を組み合わせたオーダーメイド治療を提案します。
同社が開発する「PAPCワクチン」は、樹状細胞にがん特異的なネオ抗原を搭載した再生医療等製品です。樹状細胞は免疫反応の起点となる細胞で、がん細胞のマーカーをキラーT細胞に記憶させる役割を担います。従来の樹状細胞ワクチンがWT1やMAGE-1のような不特定多数のがん細胞に共通して見られる抗原を使用していたのに対し、NPTはがんの遺伝子変異によって生じるネオ抗原を搭載することで、より患者個別の治療を実現します。
治療プロセスは、患者のがん組織と正常組織を採取して遺伝子解析を行い、がん特異的な変異蛋白質(ネオ抗原)を同定。約5種類のペプチドを選定・合成し、同じ患者から培養した樹状細胞に搭載して体内に戻します。ネオ抗原のアミノ酸配列は患者ごとに完全に異なるため、真のオーダーメイド治療が可能です。遺伝子解析から製品完成までは約2ヶ月を要します。
NPTの強みは、従来の培養法に比べて純度の高い樹状細胞を培養できる技術にあります。活性化マーカーも非常に高く、実際の食道がん患者から作成したPAPCワクチンのin vitro評価では、同定された5種類すべてのネオ抗原に対してインターフェロンガンマ産生(がんに対する免疫反応が正しく起きていることを示す指標物質)の向上が確認されています。CAR-T療法と比較した安全性の高さ、複数のペプチドを同時提示できる機能性も特徴です。
ターゲットは標準治療不応の食道がん患者で、年間約9,000人発生すると推定。そのうち3割をカバーできる製造・販売体制の構築を目指しています。ビジネスモデルは自社製造販売で、提供患者数と契約病院数の増加による成長戦略を描きます。将来的には他のがん種への応用も視野に入れており、「九州大学で発見されたペプチドと当社の細胞培養技術を組み合わせた新しい個別化治療薬を、この九州から展開していきたい」と原氏は語りました。
ゲノム編集の精密制御で老化を巻き戻す──次世代アンチエイジング治療の最前線
One Genomics, Inc. 共同創業者CSO/九州大学助教 川又理樹氏

One Genomicsは九州大学発のゲノム編集技術シーズをもとに、米国で3年前に創業したスタートアップです。老化・遺伝性疾患治療を目指す同社には、昨年、ゲノム編集・合成生物学の先駆者であるGeorge Church氏(ハーバード大学)が参画し、新たな展開を加速させています。Church氏はNASDAQに上場したゲノム編集ベンチャーEditas Medicineの共同創業者であり、マンモス復活に取り組んでいることで話題になったスタートアップColossal Biosciencesの創設者としても知られる人物です。
同社が注目するのは、老化に伴う疾患リスクの劇的な増加です。40歳以降、8年ごとに様々な疾患リスクが2倍ずつ上昇しますが、逆に老化をストップできれば、これらの病気を未然に防ぎ治療することが可能になります。時間そのものは止められなくても、細胞のバイオロジカルな機能時間を巻き戻すことは理論的に可能で、iPS細胞技術がまさにその実例です。Church氏の過去のベンチャーは数年で巨額の評価額を得ていますが、今回の老化制御事業に関しては『10兆ドル(10 Trillion Dollars)規模のインパクトがある』と、その桁違いなポテンシャルを掲げています。
山中伸弥氏が発見したiPS細胞は、3〜4つの転写因子(山中ファクター)を細胞に導入することで、老化した細胞を受精卵レベルまでリプログラミングします。つまり理論上、高齢者にこれらの因子を投与すれば若返りが可能です。実際、動物レベルでは既に証明が始まっており、2020年には山中ファクターの3因子(OSK)投与で失明マウスの視力が回復し、4年後には寿命延長にも成功しています。これらの成果はすべてChurch氏の研究室から生まれました。
現在、世界中で様々な転写因子の組み合わせを探索する競争が激化していますが、その組み合わせは星の数ほど存在します。One Genomicsの強みは、どの組み合わせが最適かを「一瞬で分かる」独自の細胞追跡技術を備えたプラットフォームにあります。
従来技術では転写因子をオーバーエクスプレッション(過剰発現)させるしかできませんでしたが、川又氏が開発したファインチューニング可能なCRISPR技術を使えば、発現量を微調整したデータも取得できます。具体的には、ガイドRNAの頭部に特定の配列を付加することで、ゲノム編集の活性を精密に制御。発現量を2倍だけ上げる、30倍上げるといった調整が可能になり、他では取れない膨大なシングルセル(単一細胞)データを収集できます。
この技術により、例えば山中ファクターを「100:100:100」ではなく「3:200:10」の比率で加える方が最適、といった知見が得られます。肝臓特異的、脳特異的といった臓器別のコントロールも視野に入り、AIモデルを活用した独自データで「どんな細胞でも設計できる」未来が近づいています。
事業戦略は二段階です。まず独自データを蓄積してAIモデル(バーチャルセル)を構築し、「この転写因子の組み合わせでこの細胞ができる」というプラットフォームを他企業にライセンス提供。次に、最適な組み合わせが見つかれば自社開発で特定疾患治療を目指します。最近の研究では、肝臓に転写因子を投与すると生成されたタンパク質が胸腺を若返らせ、T細胞を再活性化してがんを抑制する効果も報告されており、複雑な治療ルートの可能性が広がっています。
また、遺伝性疾患の個別化医療にも注力しており、新生児を対象とした臨床試験が昨年から開始されています。川又氏のガイドRNA技術により、精密性を従来比2,500倍向上させることにも成功しており、京都大学iPS細胞研究財団(CiRA)とのコラボレーションも推進しています。
規制当局のトップであるPMDAの丸山良亮氏、再生医療研究の第一人者である武部貴則氏、そして遺伝子治療・再生医療の最先端を走る4社のスタートアップが一堂に会した本イベント。会場では終始、登壇者と参加者が活発に名刺交換や議論を交わし、技術の社会実装に向けた具体的なコラボレーションの可能性を探る熱気に包まれました。九州大学病院と直結したエフラボ九大病院という場だからこそ生まれる、臨床現場と産業界をつなぐ新たな連携の萌芽が、随所に感じられる1日となりました。今後も、バイオやライフサイエンスを軸に、研究者・起業家・投資家・企業が交わり、次の挑戦を後押しするイベントを開催してまいります。最新のイベント情報はこちらからご確認ください。福岡から新しいバイオイノベーションが生まれる瞬間を、ぜひ現地でご体感ください。
